トップへ戻る 藤沢市辻堂小学校 辻堂物語 第一回目 第二回目 |
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| 辻堂物語 第二回目 | 地域とはぐくむ地域学習辻堂タイムズでは、辻堂小学校の子ども達の活気あふれる『辻堂物語』の授業成果を7回に分けて連載していきます。みなさんも一緒に考えたり、答えてみてね。 | ||||
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| 第3章辻堂駅の誕生にかけた人の願い |
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| 監修 滝沢 博先生 | 子どもたちの発表より… | ||||
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| 辻堂物語(3番) 辻堂駅は まちの顔 いもや麦を 積み出して 人や肥やしを 運び込む にぎやかだった 海軍兵 一夜の宿の あったまち |
ぼくたちは、辻堂駅の誕生について調べることにしました。当時の東海道線は、藤沢と茅ヶ崎間を走っていて、その間はほぼ直線でつながれていました。辻堂村でとれるものといったら、サツマイモと麦、それに魚くらいでした。当時、汽車からは白い桃の花が咲いているのが、よく見えたそうです。 1913年3月に、『辻堂停車場期成同盟会』ができ、10月に鉄道院の総裁に請願を出したときの理由としては、?辻堂・小和田一帯の人口増加がみられること。?辻堂が芋や雑穀の生産地であったため、将来性があること。?海岸に軍事用の演習場があり、兵員・物資の輸送に不便であることなどが上げられています。 戦時中海軍兵は、辻堂海岸での演習のために、横須賀から葉山、逗子、鎌倉を通って辻堂まで、35kmを徒歩でやってきましたので、東海道線を利用することはなかったようです。翌日の演習が終わっての帰りは、鎌倉で横須賀線に乗る程度だったそうです。海軍兵は辻堂の各農家に泊まって体を休めたそうです。その時の様子は、茂兵衛資料館に展示されています。 辻堂駅ができてまずよかったことは何かといえば、農家で不足していた肥やしの運搬が楽になったことでした。その頃は、藤沢宿や江ノ島の宿に荷負い桶をかついで肥やしをもらいにいっていたので、汽車で大量に運べるようになると、辻堂駅の北口には『肥やしの店』が出来たそうです。 ちなみに?地2500坪と建設資金2483円を住民負担することにより大正5 年に『辻堂駅』がオープンとなりました。当時の土地の価格は300坪当り150円 でした。 |
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| 〈辻堂駅の歴史〉 ・大正5年12月1日 辻堂駅開設 駅の創設意義と協力者の名前が交番前の記念碑に刻まれている ・大正12年 大震災によって倒壊、改築 ・昭和30年 辻堂駅西口がラッシュ時の混雑緩和のために新設された ・昭和38年 西口 線橋完成 通勤客の利便向上 ・昭和43年 南口駅前ロータリー完成 駅前のどろんこ広場がなくなる ・昭和52年 橋上駅完成・南北通路開通 前年に完成した北口と行き来が可能に ・平成6年 湘南辻堂地下道開通 ラッシュ時には開かずの踏切から解消 |
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| 元4年5組の子どもたちのコメントより… 「図書室以外でも、もっと調べればよかったと思った」 「自分たちで結構できたことがよかった」 「三浦から引っ越してきて間もないけど、辻堂駅のことがよく分かった」 「辻堂市民図書館で辻堂駅の本を予約した。それが貴重な資料となった」 「自分の家のインターネットでも調べ、真剣に取り組めた」 |
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| (辻堂タイムズ2005年6月号掲載) | |||||