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辻堂のビーチが変わってきている!ビーチが綺麗になっている!この気持ち良 さは何だろう? 夜になると辻堂海岸周辺ストリートは、リゾート気分が漂い、若者
が続々と集まってくる。皆さんは気づいたであろうか?どうも、その発信源は辻堂海 岸ビルB1「ライブスペース」ではないかという匂いをかぎつけ、オーナーであるド
ジ井坂さん(53)を訪ねた。
ドジさんはというと、元プロサーファーで「オールナイ トフジ」「ファイン」に登場していた記憶がある。ドジさんにはどういう思いがある のだろう。
プロサーファー、ライター、カメラマン、コメンテーター、企画会社設立 など、枠にとらわれずチャレンジし続けるエネルギッシュな方である。 50年代 サーフィンとの出会い
ドジさんは、1948年茅ヶ崎市に生まれる。幼い頃は今のR134もなく、辻堂 は砂漠の町だった。彼がサーフィンを知ったのは中学生。仲間と女の子たちをナンパ
し、ワイワイやっていた。きっかけは、女の子の「サーフィンって、かっこいい」と いう一言。彼はよく東京へ行き、早朝映画を見たり、洋書屋を見て廻った。そこでベ
ンチャーズのレコードや、サーフィンの雑誌をみつけて釘付けになった。そして、サー フィンで波の面白さに目覚める。「波には正確さがない、アドリブなんだ。この意外
性が好きなんだ」とドジさんは言う。しかし、当時ボードの値段は7〜8万円。サラ リーマンの月給が1・5万円位の時代。車一台の値段である。だから、みんな仲間で
貸し借りしていた。ベニヤの板でボードを作ってみた。それを機に、普通のサーフボー ドづくりを始める。それが、また面白いように売れた。「ファッションでも西海岸の
スタイルを雑誌から研究しいち早く取り入れたよ」。 70年代 サーフィン三昧 プロサーファーになり、ボードを制作しながらサーフィンの毎日だった。当時は、
平日サーフィンをしていると、不良と言われた時代。しかもフリーター的仕事もない 時代である。「台風を追いかけて東北までいっちゃうとか、いつも限界チャレンジモー
ドでしたね」。そして数々の大会で優勝、入賞という結果を出した。(この記事は2001年7月号に掲載したものです) |